「もう一回やれって言われたら絶対断るね(笑)」 広告事業責任者の川崎裕一が語る、スマートニュースの広告を立ち上げるまで

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スマートニュースの広告事業は2014年12月に立ち上がりました。最初は数名でスタートした広告事業は、約5年を経て2019年6月時点で30名を超える規模になりました。今まで、スマートニュースの広告事業が立ち上がるまでの話は、あまり社外に発信する機会がありませんでした。

そこで今回は、2014年に広告事業をゼロから立ち上げ、現在も引き続き広告事業部門の責任者を務める川崎裕一に話を聞いてみました。川崎がスマートニュースに加わる前に経験したシスコ、はてな、ミクシィのエピソードから、その後スマートニュースの広告事業を立ち上げるまでの歴史を語ってもらいます。

聞き手は、はてな時代の川崎も知るAd Sales Managerの高野が行います。

のちにミクシィ、グリー、メルカリ、Fringe81を創業するインターネット仲間と出会った大学時代と、エンジニアの重要性を学んだシスコ時代

―― 本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いできますか? 今の役職の正式名称と、なにをやっているか簡単に教えてください。

川崎 おれの役職名でしょう、なんだっけな。あんまり役職にこだわりないんだよね……。

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―― でも外から見ると気になりますから。

川崎 だよねぇ。(社内のツールを検索して)えっと、英語だわ。Senior Vice President of Ad Businessの川崎裕一です。執行役員ですね。スマートニュースの広告事業の責任者をやっています。

―― 本日はスマートニュースの広告の歴史を伺っていきたいと思います。その前に、川崎さんがスマートニュースに入社するまでのお話を聞かせてください。

川崎 うん、わかった。ちなみにおれは技術的なバックグラウンドはないんですよ。 慶應義塾大学の経済学部出身です。経済学っておもしろいんですよね。経済学の基本の「き」なんだけど、おれはいまだに買う人と売る人が交差するところで価格が決定される需給曲線を重視しています。だから「いかに大きいマーケットで適切に価格決定するか」がものすごく重要なんです。

―― 川崎さんの大学時代ってインターネットばっかりやって引きこもっていたと思ってたのですが、真面目なことも勉強してたんですね。

川崎 真面目なことやってましたよ! 経済学部で真面目に勉強しつつ、家では朝から晩までネットやって、Webサイトつくって論文を公開して、をひたすら繰り返してた。それで大学を卒業して、シスコシステムズという会社に入りました。

―― どうしてシスコに入社したんですか?

川崎 大学時代に、ミクシィの笠原さんとか、グリーの田中さんだったり、メルカリの山田進太郎さん、あとFringe81の田中さんみたいなネット仲間がいたんです。その影響もあってインターネットを自分の仕事にしようと決めました。でも、その頃はみんなうわついてたんですよ、やれビットバレーだとか言って。そもそもインターネットってなんで動いているのかもわからねぇのに上モノのことばっか言ってんじゃねぇって。ひねくれたところがあったんですよね(笑)。それでおれは、シスコというインターネットの土管中の土管から理解したかったんですね。

―― 土管中の土管ということですが、シスコではどのような仕事をしていたのですか?

川崎 最初の仕事は代理店政策でした。シスコはルーターをつくっている会社で。ルーターというのは、インターネットを支える、最短で手紙を届けるための郵便局みたいなもので。いわば、パソコンのおばけみたいなもんです。これをいかに販売代理店に売ってもらうかが、おれがいたチャネルマネジメント、つまり販売代理店政策部の役割でした。

どうやったらシスコ製品を売っていただけるかには「これだけ売ってくれたらこれだけの金額をお渡ししますよ」という販売インセンティブを渡す政策もあるし。あと製品を売るには、技術力がないと売れないんですよ。シスコの製品を理解して事故なく販売するには技術の理解も必要で。だから当時のシスコでは、エンジニアの社員数が多い会社には、たくさん販売している会社と同じくらいのインセンティブを渡すこともあった。

シスコには、つくる会社だけではなく、売る会社においてもエンジニアが大事という思想があって。そういうのがすげぇおもしろかったですね。まぁでも1年でやめちゃうんですけどね(笑)。

はてな近藤氏との出会い。副社長になり、ゼロイチのマネタイズの世界へ

川崎 で、それからネットイヤーという会社に行った後、アメリカに行ってMBAをとろうと思ったんですよ。朝から晩まで英語の勉強をして、TOEFLでアメリカに行けるスコアがとれたタイミングで、大学のネット仲間のパーティがあって。そこに京都から、当時のはてなの社長の近藤さんが来ることになったんですよ。当時のはてなというのは、おもしろいサービス、いやはっきり言って変わったサービスという方が正しいな、変わったサービスをつくる会社で。まぁおれも使ってたんだけど。

どんな人が来るんだろうと思ってたら、ものすごくぼくとつな人がきて。「ハイエースにサーバを積んで京都から東京に来ました」みたいなこと言ってるから、なに言ってるんだこの人って思って(笑)。「どうやって稼いでるんですか?」って聞いたら「受託開発で稼いでます」って言って。当時のはてなには、はてなアンテナと人力検索はてなと、ベータ版のはてなダイアリーというサービスがあったのに、それらではカネを稼いでないって言ってて。それで「もったいなくないですか! それなりにユーザーいるでしょう……?」って聞いたら「いやーよくわかんないですねー」とか言うから。そのときは「じゃあ頑張ってくださいねー」という感じで別れたんだけど……。

そのあと、頑張ってくださいとだけ言うのも無責任だなぁ、なんだか申し訳ないなぁ、って思って。それで近藤さんにメールして、今度オフィスに遊びに行きますよってアポを取ったんですよ。最初に会ってから1週間後か2週間後かは忘れたけど。そのときにシミュレーション持っていったんです。そこで「広告事業だとこういう儲け方があります」「課金事業だとこういう儲け方があります」という話をしました。

そのときに「近藤さん、でも条件があって、本気で伸ばしたいんだったら受託開発では絶対に伸びません。なぜなら時給だから。なんか特別に2倍あるなら別だけど、近藤さんにも1日48時間は無いですよね。だから絶対無理、今すぐやめたほうがいい」って言ったわけ。そしたら近藤さん「おもろいやん」と。「じゃあうちでやればええやん」って言われて、それでじゃあやるかーと思って、はてなに入ったんですよね。入ってから少しして、はてなの副社長になりました。

そこからですよね、初めてベンチャーに参画してゼロから立ち上げして、自分の手でメディアのマネタイズをするというのは。でもどうやったらいいかわからないから、最初はいろんな会社の媒体資料を見まくって、コピペして資料を作って。電話帳で電通とか博報堂とかの電話番号を調べて「はてなです、広告販売したいんですけどどうしたらいいんですか?」って電話してました。そうすると「はてな? はてなですか??? もう一回お願いします……」なんて言われて、「はい、はてなです」なんて(笑)。

はてなを卒業して独立、ミクシィによる買収。そしてスマートニュース社員になるまで

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川崎 おかげさまでお金儲けができるようになって。そしたら自分でやってみたいって思うようになったんだよね。それで、はてなを退職させてもらってから独立して「Livlis(リブリス)」というクラシファイドサービスをつくりました。今のメルカリのような、いらないものを欲しがっている人にあげられるサービスです。

爆伸びはしなかったけど、淡々と伸びていって。もっと伸ばしたいから資金調達しようかな、と思っていたタイミングでミクシィから買収のオファーがありまして。お金を使って事業伸ばしていい、みたいなことも言われて、じゃあせっかくだから買収されようかと。でもそこから色々ありましてミクシィも苦しい状態になっちゃって……。紆余曲折あるなかで、事業再生的な感じになるわけです。まぁ詳しくは元ミクシィ社長の朝倉さんの本をご覧ください(笑)。

そんなこんなで、モンスターストライクが当たりまして。今ではお二人とも社長になりましたが、森田さんがプロデューサー、木村さんが開発ディレクションとしてモンストを立ち上げてね、目を見張るような成長をして、会社としても好調な状態になって。おれもね、買収されて入った身だから、そういう人たちにちゃんとバトンを渡して次を考えようかと思っていたタイミングで、スマートニュースという会社ができて。

もともと鈴木健さん(スマートニュース株式会社 代表取締役会長兼社長 CEO)とは知り合いだったけど、ミクシィの人間としても、スマートニュースへの出資はおもしろいんじゃないかと思って出資をしました。そしたらミクシィから「出資するだけではなく、しっかり稼いでくださいよ」と言われたんですよ。そしてミクシィ取締役かつスマートニュース社員という謎の肩書きになってしまった。それが2014年8月1日です。最初は週に3回スマートニュースに来て、2回はミクシィに行ってました。

―― そのころは社員は何人くらいでしたか?

川崎 社員番号は20番目ですね。で、ミクシィはお金儲けしてくれと言っているし、健さんも「広告事業を立ち上げてくれ」というオーダーをしてくるし。おれもよくわかんないオーダーのほうがおもしろいし、経験もあったから、じゃあやってやろうかと思って、だんだんスマートニュースに来る回数も増やしていったね。

でも、マジでなんにもないわけ! なんにもつくれてない(笑)。そしたら浜本階生さん(スマートニュース株式会社 取締役 COO兼チーフエンジニア)と健さんが「すっげーエンジニアをふたり用意したから」って言ってきて。で、確かにすっげーエンジニアだったんです。最初は渋谷区桜丘町にあったオフィスで、おれとそのエンジニアたちの3人で広告の仕様とかをカチャカチャやって考えてました。

それからスマートニュースの広告事業の正式ローンチ日である2014年12月1日を迎えます。8月1日から12月1日ですから、言うたら4ヶ月ですよ。仕様策定から一連の開発、テストや検証、代理店開拓から販売、さらに広告も受注して掲載も開始して、というのを全部4ヶ月でやったんですよ。

もう一回やってくれって言われたら絶対断るね(笑)。

4ヶ月で広告組織と広告メニューをすべて立ち上げるというHARD THINGS

―― 4ヶ月……。川崎さんがスマートニュースに入ってからのHARD THINGS事例が2つあると聞いていますが、そのうちの1つですよね。でも12月までにやらなきゃいけない理由ってあったんですか?

川崎 あったんですよ! なにかっていうとイベントがあったんですよ。「SmartNews Compass 2014」っていう。12月1日のイベントで広告について発表します、ってのが先に決まっているわけですよ(笑)。しかもANAインターコンチネンタルホテル東京なんていう大きな会場をとってあるから、絶対に外せないじゃないですか。それでそこから逆算したスケジュールと仕様をつくりました。まぁ締切が決まっているから出せた、とも言えるよね。

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「SmartNews Compass 2014」で登壇する川崎

―― そのときの広告プロダクトには、どのようなものがあったのですか?

川崎 動画の純広告と、運用型広告の2つでしたね。運用型広告は、手動でクリック単価を入札するメニューでした。でももう代理店が運用を行える管理画面もありましたね。

―― その頃はまだまだセールスのメンバーも少ないですよね。

川崎 ですから人もいなかったんですよ。そこでFringe81さんにパートナーとなってもらい、彼らに広告代理店への営業活動を協力してもらいました。だからFringe81さんがいなかったら立ち上がっていなかったですよ。 あとcciさん、セプテーニさんにもお世話になった。だってみんなスマートニュースの広告なんか知らないでしょう。そこでリスクテイクをして売ってくださったことは、今でも感謝しています。

―― 広告販売を開始して、最初に達成感があったのはどういうタイミングですか?

川崎 うーん、どうなんだろう……。なかったね。なんとか事故なくローンチできたなー、くらい。だから、やってやったぞ! とかは一切なかったですね。

ここまでは、スマートニュースの広告プロダクトを立ち上げるまでのお話を聞きました。このあと、売上目標との間に乖離が生まれ、苦しい時期を迎えます。その時期をどう乗り切ったのか、そしてスマートニュースの広告の未来はどうなっていくのかも聞きました。 ぜひこちらの記事もご覧ください。

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